血液をさらさらにする薬(抗血栓薬)と歯科治療:くみ歯科クリニック

血液をさらさらにするお薬と歯科治療

このセクションは医療従事者向けの専門的な情報を提供します。

I. 基本原則とガイドラインの概要

抗血栓療法下の抜歯におけるマネジメントは、休薬による血栓塞栓イベントのリスクと、薬剤継続による出血リスクを天秤にかける必要があります。近年の主要なガイドラインは、致死的となりうる血栓塞栓イベントの回避を優先し、管理可能な局所出血リスクを許容するという考え方で一貫しています。つまり、安易な休薬は推奨されません。

日本の「科学的根拠に基づく抗血栓療法患者の抜歯に関するガイドライン2025年度版(案)」では、スコットランドの2022年版診療ガイドライン(SDCEP)をベースとしつつ、本邦の現状に合わせて一部改変する方針が示されています[1]。本稿では、この最新の動向に基づき、薬剤別の対応を解説します。

II. 直接経口抗凝固薬(DOAC)服用患者への対応

DOACはワルファリンと比較して半減期が短く、作用発現が早いため抗凝固活性のコントロールが比較的容易です。また、ダビガトランにはイダルシズマブ、Xa阻害薬にはアンデキサネットアルファという特異的な中和薬・拮抗薬が存在します。

推奨(ガイドライン2025案)

  • 低出血リスク抜歯(普通抜歯): DOACを中断することなく抜歯することを弱く推奨する(GRADE 2D)。
  • 高出血リスク抜歯(難抜歯・埋伏抜歯): 処方医と相談の上、服薬スケジュールの調整を検討することを弱く推奨する(GRADE 2D)。
    • アピキサバン、ダビガトラン(1日2回): 処置当日の朝の服用を1回中止(スキップ)する。
    • リバーロキサバン、エドキサバン(1日1回朝服用): 処置後の夕方などに服用時間を変更する。

合同委員会の見解と補足

薬剤の変更・中止が困難な場合は、薬剤の血中濃度が低下するタイミング(トラフ時)での処置が望ましいとされています。例えば、朝服用後、可能な限り時間を空けて午後から抜歯を行う、といった対応です。また、初回は1本のみの抜歯に留めて出血傾向を評価することや、確実な局所止血法の実施が重要です。

注釈

DOAC (Direct Oral Anticoagulant): 直接経口抗凝固薬。第Xa因子またはトロンビンを直接阻害する。ワルファリンと異なり定期的なモニタリングは原則不要。

GRADE: エビデンスの確実性と推奨の強さを示す国際的な評価システム。「2D」は「非常に確実性の低いエビデンスに基づく弱い推奨」を意味する。

III. ワルファリン・ビタミンK拮抗薬(VKA)服用患者への対応

ワルファリンは食事や併用薬の影響で効果が変動しやすいため、PT-INRによるモニタリングが不可欠です。休薬による血栓塞栓リスクは深刻であり、抜歯後出血は局所止血で管理可能であるため、至適治療域内であれば継続が原則です。

推奨(ガイドライン2025案)

  • PT-INRが3.0以下であれば、薬剤を休薬せずに抜歯を行うことを強く推奨する(GRADE 1C)。

合同委員会の見解と補足

スコットランドCPGではPT-INR 4.0未満を基準としていますが、日本の循環器学会が示す至適治療域(70歳未満: 2.0-3.0, 70歳以上: 1.6-2.6)を考慮し、より安全な3.0以下が推奨されています。ただし、PT-INRが3.0以下でも後出血は0%~26.6%の頻度で報告されており、油断は禁物です。

PT-INRの測定は、理想的には処置前24時間以内、安定している患者では72時間以内とされています。3.0を超える場合は処方医に対診し、抜歯の延期を検討します。

注釈

PT-INR (Prothrombin Time-International Normalized Ratio): プロトロンビン時間国際標準比。ワルファリンの抗凝固作用をモニタリングするための標準的な血液検査指標。

VKA (Vitamin K Antagonist): ビタミンK拮抗薬。ワルファリンが代表的な薬剤。

IV. 抗血小板薬服用患者への対応

冠動脈ステント留置後のDAPTなどは、中断により致死的なステント血栓症のリスクが著しく増加するため、特に注意が必要です。抗血小板薬にはPT-INRのような簡便なモニタリング指標はありません。

推奨(ガイドライン2025案)

  • 抗血小板薬単剤(SAPT)または2剤併用(DAPT)のいずれにおいても、薬剤を中断することなく抜歯を行うことを強く推奨する(GRADE 1C)。
  • 抗凝固薬と抗血小板薬の併用療法については、データが乏しくリスクのばらつきが大きいため、特定の推奨は行わず、専門医への相談や専門医療機関への紹介が望ましいとされています。

合同委員会の見解と補足

抜歯本数が多いほど、また難抜歯であるほど後出血のリスクは増加するため、対応可能な医療機関での慎重な対応が求められます。初回は1歯にとどめる、段階的に治療を分けるなどのリスク評価が推奨されます。

注釈

SAPT (Single Antiplatelet Therapy): 抗血小板薬単剤療法。アスピリン単独など。

DAPT (Dual Antiplatelet Therapy): 抗血小板薬2剤併用療法。アスピリンとクロピドグレル(P2Y12阻害薬)の併用など。

V. 効果的な局所止血法

薬剤継続下での安全な抜歯を支えるのは、確実な局所止血です。ガイドライン2025案のシステマティックレビューでは、従来の止血法について再検討されました。

推奨(ガイドライン2025案)

  • 抗凝固療法中の患者の抜歯創に対し、ガーゼ圧迫に加えて、縫合、酸化セルロース、止血床(パック)の全てまたはいずれかを同時に行うことを弱く推奨する(GRADE 2D)。

合同委員会の見解と補足

SRの結果、ガーゼ圧迫単独に対し、各種止血法を追加することの明確な優位性は示されませんでした。しかし、副作用などの望ましくない効果が少なく、手技的に容易であることから、これらの併用が推奨されています。ゼラチンスポンジは有意な効果上昇が認められず、トラネキサム酸やフィブリン製剤は本邦では保険適用外などの理由で推奨には含まれていません。

VI. 安全な治療を実現する医科歯科連携

抗血栓療法中の患者対応において、処方医と歯科医師の連携は不可欠です。特に高リスク処置や判断に迷う症例では、積極的な対診が求められます。

処方医(医科)
全身状態と血栓リスクを評価
薬剤情報を提供
休薬/変更の可否を判断
情報共有・協議
歯科医師(歯科)
口腔内状態と出血リスクを評価
局所止血法を計画
処置内容を情報提供

連携のポイント

  • 情報共有: 診療情報提供書を用いて、患者の基礎疾患、抗血栓薬の種類・理由、最新の検査データ(PT-INR等)、予定する歯科処置内容と出血リスクを明確に伝達します。
  • 対話と合意形成: 処方医から「休薬指示」があった場合でも、一方的に従うのではなく、現在の歯科領域のガイドライン(薬剤継続+局所止血が標準であること)を情報提供し、対話を通じて患者にとって最適な方針を共同で決定します。
  • 患者教育: 医科・歯科双方が、患者に対して「自己判断で薬をやめない」ことの重要性を一貫して説明することが、医療事故防止に繋がります。

VII. 主な参考文献

  1. The Scottish Dental Clinical Effectiveness Programme (SDCEP). Management of Dental Patients Taking Anticoagulants or Antiplatelet Drugs, Dental Clinical Guidance (2nd Edition). Published March 2022.
  2. 日本有病者歯科医療学会, 日本口腔外科学会, 日本老年歯科医学会. 科学的根拠に基づく抗血栓療法患者の抜歯に関するガイドライン 2025年度版診療ガイドライン改定要旨. 2024.

はじめに:あなたにとっての「生命線」であるお薬と、歯科治療のお話

心筋梗塞や脳梗塞といったご病気の治療や予防のために、「血液をさらさらにするお薬」を飲まれているあなたへ。

このお薬は、血液の中に危険な血の塊(血栓)ができて、血管が詰まってしまうのを防ぐための、あなたの健康を守る「生命線」とも言える、とても大切なお薬です。

歯科治療を受けるとき、「血が止まりにくくなるかも…」とご不安に思われるお気持ちは、よく分かります。ですが、どうかご自身の判断でお薬をやめたりしないでください。それは、命に関わる脳梗塞や心筋梗塞のリスクを、かえって高めてしまうことになりかねません。

どうぞご安心ください。現在では、ほとんどの歯科治療で、お薬を飲み続けながらでも安全に治療を行う方法が確立されています。このページでは、皆さまが安心して治療に臨めるよう、分かりやすくご説明させていただきますね。

ご自身のお薬について知っておきましょう

「血液をさらさらにするお薬」には、大きく分けて2つのタイプがあります。どちらも血の塊(血栓)を防ぐという目的は同じですが、働き方が少し違います。ご自身のお薬がどちらのタイプか、お薬手帳で確認してみましょう。

お薬のタイプ 主な働き 代表的なお薬の例(商品名)
抗凝固薬(こうぎょうこやく) 血液が固まる流れを
ゆるやかにします
ワーファリン®
プラザキサ®
イグザレルト®
エリキュース®
リクシアナ®
抗血小板薬(こうけっしょうばんやく) 血栓のきっかけとなる
血小板の働きを抑えます
バイアスピリン®
プラビックス®
エフィエント®
プレタール®

よくあるご質問 Q&A

なぜ、お薬をやめずに歯の治療ができるのですか?昔は「薬をやめて」と言われたのに…。

医療は日々進歩しています。かつては出血を心配して薬をお休みすることもあったのですが、近年の多くの研究から、お薬をやめることで起こる脳梗塞などのリスクのほうが、歯科治療での出血のリスクよりもはるかに深刻だということがわかってきました。

そのため、今では「お薬は続けたまま、くみ歯科クリニックの歯科医師が特別な方法でしっかりと血を止める」のが、あなたにとって最も安全な方法だと考えられています。傷口を丁寧に縫ったり、自然に溶ける止血剤を使ったりと、万全の対策で出血をコントロールしますので、安心してお任せくださいね。

歯を抜くのは、やっぱり怖いのですが…

そうですよね、ご不安だと思います。お薬を飲んでいない方に比べれば、多少出血が長引く可能性はありますが、現在の医学的なルールでは、お薬を飲み続けながら抜歯を行うことが勧められています。

くみ歯科クリニックでは、抜歯が必要な場合でも、出血のリスクをできるだけ小さくするために、以下のような工夫を徹底しています。

  • できるだけお体に負担の少ない、丁寧な手技を心がけます。
  • 抜いた穴に、血を止めやすくするお薬(止血剤)を入れます。
  • 傷口をしっかりと縫い合わせます。

これらの処置により、ほとんどの場合、安全に抜歯を終えることができますので、ご安心ください。

治療の後、血が止まらなかったらどうすればいいですか?

治療当日に唾液に少し血が混じるのは普通のことですから、心配しすぎないでくださいね。もし、口の中が真っ赤な血でいっぱいになるような出血が続く場合は、ご自宅で応急処置を試してみてください。

【ご自宅での止血方法】
清潔なガーゼを丸めて傷口に置き、30分間、ぎゅっと強く噛み続けてください。途中で気になって口をゆすいだり、ガーゼを交換したりしないことが、上手に血を止めるコツです。

この方法を試しても出血が止まらない場合は、我慢なさらず、すぐに下の「困ったときの連絡先」へお電話ください。

お医者さんと歯医者さんの連携が、あなたの安心につながります

あなたの体を守るためには、お薬を処方してくれているお医者さん(医科)と、お口の健康を守る歯医者さん(歯科)が、しっかりと協力し合うこと(医科歯科連携)がとても大切です。

あなたのかかりつけ医(医科)
全身の状態を一番よく知っています
連携
あなた
お薬手帳で情報を伝えてください
連携
くみ歯科クリニック(歯科)
お口の状態を診て、安全な治療を計画します

あなたがお薬手帳を見せてくださることで、くみ歯科クリニックは、あなたのお体の状態に合わせて、最も安全な治療計画を立てることができます。

安全を第一に考えるため、場合によっては、かかりつけのお医者さんへ確認させていただくためのお時間を頂戴することがございます。これも、安心して治療を受けていただくための大切なステップですので、どうぞご理解いただけますと幸いです。

くみ歯科クリニックは、お医者さんと一緒にあなたの健康を見守るチームの一員です。どんなことでも、安心してご相談くださいね。

困ったときの連絡先

治療後の出血が止まらないなど、ご心配なことがあれば、我慢せずにお電話ください。

くみ歯科クリニック

監修:医師 医学博士 森川洋匡

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