その頭痛・肩こり、お口が原因かも?
無意識の癖「噛みしめ・歯ぎしり」が引き起こすサイン
I. 序論:ブラキシズム・TMDへの統合的アプローチ
ブラキシズムおよび顎関節症(TMD)は、局所的な歯科口腔領域の問題に留まらず、全身の筋骨格系愁訴、慢性疼痛、QOL低下を引き起こす複雑な病態である。その疾患概念は、咬合異常を主因とする機械論的モデルから、中枢神経系の機能異常や心理社会的因子が関与する「生物心理社会モデル(biopsychosocial model)」へと大きくパラダイムシフトしている。
本稿は、最新の国際的診断基準「DC/TMD」や国内診療ガイドラインを基盤とし、診断から治療までを体系的に整理する。特に頭痛や頸部痛の病態生理、鑑別診断、エビデンスに基づく治療選択肢を詳述し、日常臨床における的確な意思決定と統合的な患者管理への貢献を目指す。
II. 疫学:決して稀ではない国民的課題
国内外の疫学調査は、ブラキシズムとTMDが国民健康における看過できない課題であることを示している。
図1: ブラキシズムの推定有病率
図2: TMD関連症状の保有率
- 睡眠時ブラキシズム(SB): 成人の有病率は約5~8%、小児では10-20%に達する。
- 覚醒時ブラキシズム(AB): 有病率は22%~30%とさらに高い。
- TMD症状(国内): 厚生労働省 歯科疾患実態調査(H28)によると、国民の約15%が顎関節雑音を、約3.3%が顎の痛みを自覚。特に女性の有病率が高い(男性の約1.5倍)。
Nourish Dental Care. Case Study #14. / 日本顎関節学会. 顎関節症治療の指針 2024(案).
経済的・社会的影響
米国の報告では、TMD患者は非TMD患者と比較して医療サービスの利用頻度が高く、医療費が1.6倍以上に達する。同国におけるTMD関連の年間医療コストは40億ドルと推定され、これに労働生産性の低下(プレゼンティーズム)による間接的な経済損失も加わる。
White BA, et al. J Orofac Pain. 2001. / National Academies of Sciences, Engineering, and Medicine. 2020.
III. 病態生理と関連痛のメカニズム
3.1 ブラキシズムの定義と中枢性メカニズム
ブラキシズムは「歯のクレンチングまたはグラインディング、および/または下顎の固定または突き出しを特徴とする反復的な顎筋活動」と定義される。これは直ちに「疾患」ではなく、有害な結果を引き起こす可能性のある「リスクファクター」と捉えられる。原因は咬合不調和ではなく、大脳上位中枢の活動に由来する中枢性メカニズムが主因である。特にSBは、浅いノンレム睡眠時の交感神経活動亢進と微小覚醒(micro-arousal)に引き続いて発生する。
日本歯科医師会. 歯とお口のことなら何でもわかるテーマパーク8020.
SBの客観的評価にはバイオマーカーとして「律動性咀嚼筋活動(RMMA)」が用いられ、この活動が基準値を超えた場合にSBと診断される。RMMA中の咬合力は覚醒時の最大随意咬合力を超える場合があり、これが歯や顎関節への過大負荷の要因となる。
加藤隆史. 睡眠時ブラキシズムの危険性.
3.2 顎関節症(TMD)の病態分類と病態生理
TMDは「顎関節や咀嚼筋の疼痛、関節雑音、開口障害を主要症候とする障害の包括的診断名」であり、日本顎関節学会は主に以下の4つに分類している。
- I型: 咀嚼筋痛障害 (Masticatory Muscle Pain Disorder)
- II型: 顎関節痛障害 (TMJ Pain Disorder)
- III型: 顎関節円板障害 (TMJ Disc Displacement Disorder) - 復位性/非復位性
- IV型: 変形性顎関節症 (Degenerative Joint Disease)
日本顎関節学会. 顎関節症とは.
TMDの病態生理も「生物心理社会モデル」で捉えられ、持続的な疼痛刺激が末梢および中枢神経系に感作(sensitization)を引き起こし、痛覚過敏やアロディニアを誘発する。この中枢性感作が、TMDが頭痛、線維筋痛症等の他の慢性疼痛性疾患と併存する神経生物学的な基盤と考えられている。
3.3 関連痛のメカニズム
咀嚼筋の持続的過緊張は、筋肉内に硬いしこり「トリガーポイント(TP)」を形成する。このTPが、離れた領域に痛みを引き起こす「関連痛(Referred Pain)」の発生源となる。
症状 | 主な原因 | 考えられるメカニズム | 関連エビデンス |
---|---|---|---|
緊張型頭痛 | 覚醒時ブラキシズム(AB) | 咀嚼筋(特に側頭筋)のTPからの関連痛。 | ABを有する成人は緊張型頭痛の発症率が5倍以上高い(Odds Ratio 5.23)。 |
起床時の頭痛 | 睡眠時ブラキシズム(SB) | 夜間の持続的な筋活動による筋疲労、血流低下、炎症性物質の蓄積。 | SBは起床時の側頭部痛と関連することが知られている。 |
肩こり・首のこり | 咀嚼筋の過緊張 | 機能的に連動する頸部筋(胸鎖乳突筋、僧帽筋など)へ過緊張が波及しTPを形成。 | - |
歯の痛み(非歯原性歯痛) | 咀嚼筋の過緊張 | 咬筋や側頭筋のTPから歯への関連痛。 | - |
Singh P, et al. J Family Med Prim Care. 2021. / Raphael KG, et al. J Am Dent Assoc. 2015. / Rodrigues C, et al. J Prosthodont. 2021. / 日本口腔顔面痛学会. 非歯原性歯痛の診療ガイドライン. 2019.
IV. 診断:鑑別診断と標準的評価法
4.1 鑑別診断の重要性
TMD様の症状は、腫瘍性疾患(口腔癌等)、感染性・炎症性疾患(智歯周囲炎等)、神経性疾患(三叉神経痛等)、自己免疫疾患(関節リウマチ等)、虚血性心疾患の関連痛など、多岐にわたる疾患の一症状として現れることがあるため、慎重な鑑別診断が不可欠である。特に歯痛を主訴とする場合、安易な不可逆的治療の前に、筋・筋膜性疼痛による非歯原性歯痛の可能性を常に念頭に置く必要がある。
日本口腔顔面痛学会. 非歯原性歯痛の診療ガイドライン. 2019.
4.2 国際基準DC/TMD vs 日本顎関節学会分類
TMDの診断には、国際標準ツール「DC/TMD」が広く用いられる。これは身体的診断を行うAxis Iと、心理社会的状態を評価するAxis IIの二軸性診断システムを特徴とし、日本顎関節学会の分類よりも操作的定義が明確で研究間の比較可能性が高い。
診断項目 | 日本顎関節学会分類 | 国際基準DC/TMD | 相違点・特徴 |
---|---|---|---|
筋痛 | I型: 咀嚼筋痛障害 | Myalgia (局所性、筋・筋膜痛、関連痛を伴う筋・筋膜痛) | DC/TMDは病態をより詳細に分類し、関連痛の有無を明確に診断。 |
関節痛 | II型: 顎関節痛障害 | Arthralgia | 概念は類似するが、DC/TMDは診断基準がより厳密に操作的に定義。 |
関節円板障害 | III型 (復位性/非復位性) | Disc displacement (with/without reduction, with intermittent locking) | DC/TMDは間欠性ロッキング等を加え、より詳細に分類。 |
関連頭痛 | 随伴症状として扱われる | Headache Attributed to TMD | DC/TMDではTMDに起因する頭痛を独立した診断項目として定義。 |
心理社会的評価 | 診断分類には含まれず別途評価 | Axis IIとして診断体系に統合 | 生物心理社会モデルに基づき、心理社会的因子の評価を診断プロセスに不可欠な要素として組み込む。 |
Schiffman E, et al. J Oral Facial Pain Headache. 2014. / Ohrbach R, et al. J Oral Facial Pain Headache. 2014.
V. 治療法:エビデンスに基づく段階的アプローチ
治療は、侵襲性が低く可逆的な保存的治療から開始する段階的アプローチ(Stepped-care approach)が原則である。治療目標は症状の完全な消失ではなく、日常生活に支障ないレベルまで症状をコントロールしQOLを改善することにある。
治療段階 | 治療法 | 主な対象 | 推奨度・エビデンスの確実性 (国内/国際ガイドライン参考) |
---|---|---|---|
第一選択 | 患者教育・セルフケア | 全てのTMD・ブラキシズム | 強く推奨。最も低侵襲かつコスト効率が高い。 (JSTJ 2020, AAOP) |
理学療法(運動療法) | TMD筋痛・関節痛、開口障害 | 弱く推奨/提案 (エビデンス: 非常に低い〜中等度)。疼痛軽減と開口量改善に有効。 (JSTJ 2023, AAOP) | |
認知行動療法(CBT) | 覚醒時ブラキシズム、心理社会的因子が強いTMD | 提案 (エビデンス: 低い〜中等度)。ABの管理に中心的役割を担う。 (AAOP) (SBへの推奨度は低い - JPS 2021) | |
第二選択 | 口腔内装置(スプリント) | 睡眠時ブラキシズム、TMD筋痛・関節痛 | 弱く推奨/提案 (エビデンス: 非常に低い〜低い)。歯の保護効果は確実。SB抑制効果は限定的。 (JSTJ 2023, JPS 2021) |
薬物療法 (NSAIDs等) | 急性期のTMD筋痛・関節痛 | 提案(短期使用) (エビデンス: 中等度)。対症療法として位置づけられる。 (JSTJ 2020, AAOP) | |
第三選択 (専門的介入) | ボツリヌス毒素注射 | 難治性の筋痛性TMD・SB | 提案(専門医による) (エビデンス: 低い〜中等度)。筋活動と疼痛を有意に軽減。 (SBへの推奨度は低い - JPS 2021) |
外科的治療(関節穿刺等) | 非復位性関節円板障害など器質的障害 | 限定的に適応。保存療法抵抗性の難治例に限る。 (JSTJ 2020, AAOP) |
日本顎関節学会. 顎関節症治療の指針 2020. / 日本顎関節学会. 顎関節症初期治療診療ガイドライン 2023. / 日本補綴歯科学会. ブラキシズムの診療ガイドライン 2021. / AAOP. Orofacial Pain: Guidelines for Assessment, Diagnosis, and Management.
「原因不明の頭痛や肩こりが続いている…」「朝起きると顎がだるい…」
そんなお悩みはありませんか?
その不調、実は多くの方が無意識に行っている「噛みしめ」や「歯ぎしり」が原因かもしれません。症状が顎から離れた場所に現れるため見過ごされがちですが、顎の筋肉の過度な緊張は、全身に影響を及ぼします。このページでご自身の症状を正しく理解し、改善への一歩を踏み出しましょう。
もしかして…?ご自身のセルフチェック
あてはまるものがないか、チェックしてみましょう。一つでも当てはまれば、無意識に噛みしめや歯ぎしりをしている可能性があります。
頭痛・肩こり
マッサージに行っても
すぐに戻ってしまう
歯のトラブル
歯がすり減ったり
欠けたり、しみたりする
日中の癖
集中している時、
無意識に食いしばっている
朝の不調
起きると顎が疲れている
または痛い
Q1: 「噛みしめ」「歯ぎしり」って何ですか?
食事や会話以外で、無意識のうちに歯を食いしばったり、こすり合わせたりする癖のことです。主に2つのタイプがあります。
- 日中の噛みしめ (食いしばり): 仕事や家事など、何かに集中している時に、音を立てずにグーッと強く噛みしめること。多くの方に見られる癖です。
- 夜中の歯ぎしり: 寝ている間に、ギリギリと歯をこすり合わせること。ご家族に指摘されて気づくことが多いです。
噛みしめや歯ぎしりのことを、専門用語で「ブラキシズム」と呼びます。これは病気ではなく、誰にでも起こりうる「癖」の一種です。
Q2: なぜ噛みしめると、頭痛や肩こりが起きるのですか?
お口の周りの筋肉と、頭や首、肩の筋肉はつながっているからです。噛みしめが続くと、物を噛むための筋肉(咬筋や側頭筋)が常に緊張して硬くなります。この筋肉の「こり」が、
- こめかみにある側頭筋から広がって「緊張型頭痛」に。
- 首や肩の筋肉にも伝わって「首こり・肩こり」に。
- 時には、虫歯でもないのに「歯の痛み」として感じることもあります。

原因の場所と違うところに痛みが出る現象のことです。肩こりから頭痛がするように、顎の筋肉のこりが頭痛や肩こりを引き起こします。
Q3: 「顎関節症(がくかんせつしょう)」とは違うのですか?
「噛みしめ・歯ぎしり」は顎関節症の大きな原因の一つです。あごに負担がかかり続けると、次のような顎関節症の代表的な症状が出やすくなります。
- あごが痛む(口を開けたり、食事をしたりする時に耳の前あたりや頬が痛い)
- 口が大きく開かない(指が縦に3本入らない)
- あごを動かすと音がする(カクン、ジャリジャリなど)
あごの関節やその周りの筋肉の痛み、動きにくさ、関節音などをまとめた呼び名です。噛みしめや歯ぎしりは、顎関節症の引き金になります。
Q4: どんな治療法がありますか?
治療の基本は、歯やあごへの負担を減らすことです。当院では、患者様一人ひとりの症状やライフスタイルに合わせて、最適な治療法をご提案します。
マウスピース(スプリント)療法
主に夜寝る時に、オーダーメイドのマウスピースを装着します。歯ぎしりの力を和らげ、歯やあごの関節を破壊的な力から守ります。
ボトックス注射による治療
噛むための筋肉(咬筋)に直接お薬を注射し、筋肉の過剰な緊張を和らげます。つらい頭痛や肩こり、エラの張りの改善も期待できます。(※自費診療)

これらの治療と並行して、ご自身でできるセルフケアや、あごの筋肉のストレッチなども指導させていただきます。
Q5: 自分でできる対策はありますか?
はい、たくさんあります!症状の悪化や再発を防ぐために、今日からご家庭で始められるセルフケアをご紹介します。
「歯を離す」ことを意識する
日中、上下の歯が接触している時間は、1日で合計しても20分程度です。それ以外の時間は、唇は閉じていても、上下の歯は離れているのが正常です。
あごや首の筋肉を優しくマッサージ
痛気持ちいいくらいの強さで、こり固まった筋肉をほぐしましょう。お風呂上がりなど、体が温まっている時に行うとより効果的です。
あごに負担をかける癖をやめる
頬杖、うつぶせ寝、猫背、硬いものをよく食べるなどの癖に気をつけましょう。
長年のつらい症状、あきらめないでください
噛みしめや歯ぎしりは、単なる「癖」ではなく、様々な不調を引き起こすサインです。もしあなたが長年、原因不明の頭痛や肩こり、顎の不快感に悩んでいるなら、それは顎の筋肉の過緊張が原因かもしれません。
どんな些細なことでも構いません。一人で抱え込まず、ぜひ一度、私たちにご相談ください。
くみ歯科クリニック
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